年の瀬の開店記念日
ふらんす亭のロゴマークに「since1979」と表示されているものが ありますが、これはふらんす亭が下北沢に1979年の12月29日に 開店た事から書かれています。 そうです。ふらんす亭の開店記念日は年の瀬も詰まった12月の29日なのです。 当時はまだデパートや商店はもちろんファにリーレストランですら 年末年始はどこも休業していた時代です。 したがって、12月29日に新しいレストランを開店させるのはかなり珍しいというか、 「変なお店」と思われてしまいました。
これにはちょっとした裏事情があるのです。 実は元々の開店予定日は12月24日クリスマスイブの予定だったんです。 開店記念日がクリスマスイブだと毎年忘れることはないし。 お客様と一緒にお祝いできそうと考えていたからです・・・
1979年12月23日 下北沢南口の小さな小さなカレーとグラタンの店 「ふらんす亭」は26歳の経営者を含め平均年齢22歳という若いスタッフ達と、 仲間の応援部隊が開店を翌日に控え、朝から準備を急いでいました。 ビンに詰まったたくさんのハーブやドライフラワーをディスプレイし、経費節約のために 自分達で手縫いしたテーブルクロスやランチョンマット それにホール用のユニホームの確認をすませ、 有線放送から音楽が流れ始め、あらゆる準備をクリアーしていきました。 夜は開店の前夜祭とクリスマスパーティーを兼ね、 手伝ってくれた仲間達と大騒ぎ 皆大いに盛り上がっていました。
しかし一人だけ盛り上がるどころか、どんどん落ち込んでいく人物がいました。 「カレーだけは任せとけ」と強気の発言を繰り返しながら、 他の準備は殆ど手を出さずカレーの仕込みに全精力を注いできたオーナーです。 昨夜から徹夜でキッチンに入り込み、黙々とカレーの仕上げ作業を続け、 前夜祭でホールが盛り上がっているときも、200人分のカレーを前に 険しい顔で取り組んでいました。
そして翌日 12月24日午前10時 記念すべき開店の瞬間の2時間前 お店にはお祝いの花が次々に届き、近所の方たちに挨拶を済ませ、 前夜祭で祝ってくれた仲間達が再び集まり始めたときでした。 この一週間徹夜で殆どキッチンに入りっぱなしだったオーナーが、 顔面蒼白状態でホールに出てきました。そしてこう言い出したのです。
「カレーの出来に納得がいかない。 昨夜から何とか手直ししようと ぎりぎりまで頑張ったけど納得のいくカレーに仕上げることが出来なかった。 初日早々納得のいかないカレーでお客様をお迎えすることは絶対出来ない。 だから皆には本当に申し訳ないけど開店を延期しようと思う。」
一瞬お店の中がシーンとなりました。 そして・・・
「えっ」 「開店延期 これ全部を?」 「お客様になんて説明するの」 「カレーだけは任せとけじゃなかったの」
仲間達から沈みきった声で質問が飛び出します。
「本当にごめん、どんなに攻められても、あきれられても仕方がない。 でもどうしても自分が納得のいかないカレーをお客様に出す訳には行かないんだ。」
オーナーは、万感の思いを込めた声を絞り出していました。 一瞬の間があった後 皆の顔がパッと明るさを取り戻しました。納得してくれたのです。
そうと決まってからは素早いリカバリーでした。 入り口に並んでいたお花を撤収し ドアーには「工事の都合により開店を5日間延期し 12月29日とさせて頂きます。」と張り紙を出しました。 そして仕込んだカレーは、泣く泣く全て廃棄し、 延べで5日かかるカレーの仕込みを最初からやりなおしたのです。
そして1979年12月29日ふらんす亭は後に 「伝説のカレー」と賞される事になるカレーをたっぷり準備し開店しました。 失敗の原因は、芳ばしさ欲張りすぎて、小麦粉の焙煎を僅かにやりすぎたことでした。
「これからクリスマスの度に思い出すんだろうね。」 「いつかきっと、なぜふらんす亭の開店記念日が12月29日なのか、 笑ってお客様に話せるようになるよ」 1979年の大晦日営業の後被けをしながら こんな会話をしたのが、つい此間のように思えます。
佐世保バーガーブームより30年早く佐世保には名物料理が存在した!!
佐世保ご当地グルメの元祖レモンステーキ
誕生以来40年以上も愛され続けてきたレモンステーキは、鉄板を使った薄い牛肉のお料理ですが、ここではご家庭用に鉄板を使わずに皿に盛り付けるレモンステーキの調理法を伝授します。
ステップ1:準備
食材準備
・ふらんす亭レモンステーキソース 30~50cc
・焼肉用にスライスした牛肉 120g~150g
・バター又はマーガリン 小さじ1
・レモン 1片
・キャベツの千切り 2つかみぐらい
調理器具
・大きめのフライパン(できれば鉄製)
・トング
・ざる(キャベツの湯通し用)
ステップ2:お肉の準備
お肉は冷蔵庫から出して、室温にしておきます
そのわけは・・・お肉が冷たいとフライパンの温度を下げてしまい肉汁が出てしまいます。焼き始めは1秒でも早く表面に焼色をつけ、肉汁が出ないようにします
ステップ3:キャベツの準備
肉を焼く前に下に敷くキャベツの準備をします
方法①
ザルに入れて熱湯をかけ軽くしぼる
方法②
フライパンで軽く炒める
方法③
レンジでしんなりするまで加熱
いずれかの方法でしんなりさせたキャベツの千切りをお皿にしきつめます
ステップ4:肉を焼く(鉄製フライパンでの焼き方)
いよいよ肉を焼きます。アッという間に焼きあがりますから、食べる人が食卓についてることを確認してから焼き始めてください。
フライパンを直火にかけ、しっかり煙が出るまで加熱します
テフロンフライパンは、から焼きするとフライパンをいためることがありますので、テフロンフライパンの焼き方を参照してください
よーく焼けたフライパンにバターを入れ、すぐに牛肉をきれいに並べ、強火で片面に焼色をつけます
レモンステーキソースをフライパンに入れ、ジャーッと沸騰したらすぐに火からおろします
手早く肉を裏に返し、返し終わったら、あらかじめ皿にしきつめたキャベツの上に手早く並べます
フライパンに残ったレモンステーキソースを肉の上からまんべんなくかけます
完成!!
ステップ4:肉を焼く(テフロンフライパンでの焼き方)
いよいよ肉を焼きます。アッという間に焼きあがりますから、食べる人が食卓についてることを確認してから焼き始めてください。
フライパンにうす煙が出たらバターを入れます
バターがこげ始めたら手早く肉を並べます
片面に焼色がついたら、フライパンを火にのせたまま肉を裏に返し、すぐにレモンステーキソースを入れます
ステーキソースを沸騰させながら肉を返しています。フライパンをかたむけるとやりやすいです
やけどに注意!!
返し終わったらすぐに肉をキャベツの上に盛り付け、ステーキソースを上からかけます
薄切り肉は片面だけ焼色をつけ反対は返すだけです。(焼かない感覚)
完成!!
キャベツを下にしくと、
・キャベツにソースがしみ込んでおいしい!!
・キャベツのおかげで肉が冷えづらい!!
・お子様も野菜をたっぷり食べてくれる!!
またキャベツごとご飯にのせれば、
レモンステーキ丼に早変わり!!
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ふらんす亭の33年前の開店メニュー。その中にあった人気No1カレーのレシピを本邦初公開!!ふらんす亭ビーフと玉ネギを使った豆腐と挽肉のカレーをご紹介します
ステップ1:食材準備
食材準備
・ふらんす亭ビーフと玉ネギ
・牛挽肉 大さじ2
・豆腐 1/3丁
・バター 少々
ステップ2:挽肉を炒める
フライパンにバターをひき牛挽肉を炒めます
ステップ3:ふらんす亭ビーフカレーを入れる
その中にふらんす亭ビーフカレーを常温のまま入れ、加熱します
ステップ4:豆腐を準備する
豆腐1/3を麻婆豆腐の時と同じぐらいのサイズにカットします
ステップ5:豆腐を加熱する
カットした豆腐をお湯で加熱します
ステップ6:フライパンに入れる
豆腐の水を切り、十分に温まったステップ3のフライパンに入れます
ステップ7:なじませる
なるべくくずれないように静かにヘラでかきまぜて全体がなじんだら出来あがり
ステップ8:完成
ふらんす亭伝説のカレービーフと玉ネギのご購入はこちら
ふらんす亭の33年前の開店メニュー。その中にあった人気No1カレーのレシピを本邦初公開!!ふらんす亭ポークとナスを使ったスタミナカレーをご紹介します
ステップ1:食材準備
食材準備
・ふらんす亭ポークとナス
・ニンニク 1片分スライス
・卵黄 1コ分
・赤ピーマン 3片
・玉ネギ 1/8コ 荒切り
野菜はなんでもいいですよ。ただニンニクと卵黄は必ず使ってくださいね
ステップ2:炒める
スライスしたニンニク、玉ネギ、赤ピーマンを少し歯ごたえが残るぐらいに炒めます
炒めすぎないでくださいね
ステップ3:ふらんす亭ポークカレーを入れる
その中にふらんす亭ポークカレーを常温のまま入れます
ステップ4:温める
全体が温かくなったら器に盛ります
ステップ5:完成
卵黄をトッピングして出来あがり!!
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ふらんす亭チキンとマッシュルームを使った木の子たっぷりカレーのレシピをご紹介します
ステップ1:食材準備
食材準備
・ふらんす亭チキンとマッシュルーム
・きのこ
(えのき、しいたけ、まいたけ、しめじ)
・バター
きのこは適当に何種類か揃えれば大丈夫です。またここでは飾りにゆでたまごをつぶしたものを使っています
ステップ2:きのこを炒める
きのこをバターで歯ごたえが残るくらい炒めます
ステップ3:ふらんす亭チキンカレーを入れる
その中にふらんす亭チキンカレーを常温のまま入れ、加熱します
ステップ4:温める
全体が温まったら出来あがり
ステップ5:完成
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どうして「まずお肉に焼き色をつけて・・・・」なのか?
焼いたお肉の美味しさはお肉の水分をできるだけ逃がさないで焼けたか、逃がしてしまったかの違いで決まります。お肉の水分は、お肉の持つあらゆる旨味成分が含まれているからです。余談ですが冷凍したお肉を解凍するとき、水分が回りに出てくる事がよくありますが、その分お肉の旨味が調理する前の段階で逃げてしまっているのです。
お肉を焼き始めると、お肉の中の水分は温度があがり膨張するために、細胞の中に留まれず、どんどんお肉から出ていこうとします。従って焼き始めにできるだけ早くお肉の表面を固めて、水分の出口を塞ぐ必要があります。
お肉はご存知の通り、玉子と同じたんぱく質食品です。ゆで卵で分かるとおり、たんぱく質は熱で固まります。具体的には70度以上の温度になったとき固まり始めます。
実は冷蔵庫から出したばかりのお肉は大変冷たいのです。昔、調理場の先輩から「外国では火傷した時、冷たいお肉を水代わりに傷口に被せて冷やす事もあったほど、お肉は冷たいのだよ。」と聞いたことがあります。事実の程は別として、確かに冷蔵庫から出したばかりのお肉を広げて手の甲にのせると、とても冷たいです。こんな冷たいお肉をフライパンにのせると、フライパンの温度は一度下がります。逆にお肉の細胞の中の水分は、フライパンからの熱で膨張して外に出ようとします。
フライパンは、加熱される事で再び温度が上がりはじめ、やがてお肉の表面も70度以上になり始め中の水分が逃げづらくなってきますが、大切なのは焼き始めに一度温度が下がり、再びフライパンの温度が上がるまでの時間の長さです。この時間が長い程、水分が出ていく時間が長いのでお肉は美味しくなくなっていくのです。
従ってお肉も焼き始めにできるだけ早く表面の温度を70度、できれば80~90度以上にしてお肉の表面を水分の逃げづらいたんぱく質が固まった状態にしたいのです。
だから「お肉の焼始めにまず、表面に焼き色をつけて・・・・」と説明してあるのです。
美味しいお肉の焼き方のコツ
意外とできていない、焼き色づけ。焼き色をつける理由はお話したとおりです。誰がやっても焼き色は、焼いているうちに放っておけば自然についてきそうですが。肝心なことがひとつ、「水分が逃げないうちに、できるだけ早く・」ができていないのです。では、その水分の逃げる時間をできるだけ短くする方法を二つ書きます。
①できたらお肉は焼く時間より1時間ぐらい早く冷蔵庫から出し、常温に近い温度にしておきます。(フライパンの温度低下を少なくします)
②生のお肉から熱を奪われても温度が下がりづらい厚手のフライパンを使用するか、ない場合は予めフライパンを十分熱して、お肉を入れた瞬間から「ジューッ」という音が途絶えないように表面に焼き色がつくまでは、できるだけ温度を下げないよう強火で焼いてください。
ここまでが旨くいったらお肉を焼くのは70%成功したといえるでしょう。
痩せの国に移住すること・・・
さていくらなんでも前置きは切り上げて、今度こそダイエットの話をしましょう。
皆さん「痩せたい」と仰います。そもそもこれが違います。 単に痩せるのが望みなら、過酷なダイエットを一ヶ月も頑張ればたいていは痩せられます。 しかし、当然のことながら誰も一時的に痩せればいいなんて 思っていないはずでして、痩せた後ずっとその体型を保つ事が本来の望みですよね。
どこかあこがれの国に旅行するのと、その国に移住するのでは、 準備も気持ちも全く違うのと同じぐらい、 「痩せたい」と「痩せて体系を維持する」ではその取り組み方は全く違うのです。
その違いの重要性に気付けていれば、 手段を選ばない我慢と忍耐の過酷なダイエット方は選ばない筈です。 一時的に極端な食事をしながら、我慢に我慢を重ねてやっと痩せたとして、 「痩せることが出来た。万歳!!」とやってると、 いつかはきっとデブの国に舞戻ってしまいます。 これでは単に痩せの国に旅行したに過ぎません。 痩せの国に旅行するだけではダメなのです。 「痩せの国に移住する事が必要なのです」 したがってダイエットは、痩せた後に体型維持がしやすい方法、 つまりその後何年も何十年も自然な生活習慣として続けられる方法を選ぶ必要があります。 過酷な負荷をかけ続けなければ維持できない方法では、これから先、長年にわたって 痩せの国の住民ではいられなくなるのです。
なるべく楽な方法を選ぶこと
痩せの国に行く方法は、なるべく楽な方法を選ぶこと
さて、いよいよその痩せの国へ行く方法です。 断っておきますが、寝ているうちにぶるぶる震えて 楽にお腹が引き締まる機械を売るつもりはありませんし、 高価なダイエット食品を紹介するつもりもありませんからからご安心を・・・笑
太っているとは、体の皮下や内臓などに脂肪が必要以上に蓄積された状態です。 その脂肪を減らすことをダイエットといいます。 この脂肪の蓄積は、一種のダム状態と同じです。 ダムは川から水が流れ込むことで水が増え、また放水することで水は減ります。 ダムの水の量を調整するのは、放水量と川からの流入量のバランスで調整します。
太っているというのは、食べ物として摂取したエネルギーが消費という形で放出しきれず 余ったエネルギーを脂肪という物質に代えて体内脂肪ダムに蓄積され、 それが溜まり過ぎている状態なのです。 そのエネルギーの量を示す単位がカロリーです。 ですから痩せる事、つまり体内脂肪ダムの脂肪量の蓄積を減らす為には、 カロリーの放出量を増やすか、カロリー摂取量を減らせば ダムの水が減るように脂肪は減っていくのです。
脂肪を放出する方法はエネルギーの消費です。 運動はもちろん、本を読んだり乗り物に乗ったり、 何をしてもエネルギーは消費され、脂肪は減っていきます。これを代謝といいます。
更に寝ているだけでも勝手に減っています。 心臓も脳もその他のあらゆる臓器が静かに活動している以上、 それらの活動のためにエネルギーは常に使われ、 その燃料としてエネルギーは消費され続けています。これを「基礎代謝」といいます。 よく「何もしないでも太る」と言う人がいますがご安心ください、 逆に何もしなくても人間の脂肪は基礎代謝で減るのです。
代謝量は性別、年齢、運動量、などで個人差がありますし、 基礎代謝も年齢や性別で違ってきます。 これを調べる計算方法はたいていのダイエット本に書かれていますし、 ネットでも必要項目を入れれば自動的に算出してくれるサイトがいくつかありますから、 是非自分の平均的代謝量や基礎代謝量は把握してください。
ここで紹介する「カロリーレージ」という考え方では大切な数値になってきます。
きっかけは二つの理由から・・・
一つ目は妻の一言です。
「あの人はもう男を捨ててるから。」
直接ではありませんが、妻が友人に私のことをこう話したそうです。 確かに結婚以来、妻の心配をよそに暴食の限りを尽くし、 その結果、およそオシャレなどとは縁遠い存在になっていたのは事実です。 今まで妻の警告は殆ど無視してきましたが、 しかし「男を捨ててる」といわれては・・・それも妻に・・・。
さすがに黙っているわけにはいきません。
私は健康上の理由では、もはやダイエットへの意欲は湧いて来ませんでしたが、 「油断しきってすっかり私を見くびっている妻を見返したい」という、 明確な目標が見つかりました。
合言葉は 「60歳までに60キロになって、不埒な親父になるぞ!」 です。
二つ目は 「いつまでもデブと思うなよ」(岡田斗司夫 著)を読んだことです。
痩せる意欲が如何に湧いてきても、的確な方法が必要です。 それも我慢が苦手な自分に合った方法です。 特定の食品を異常に食べ続けたり、または食べなかったり、 さらには地道な運動を続けるのは私には向いていません。
その中のいくつかはすでに試み、ある程度の効果と その何倍かのリバウンドは体験済みです。 こんな88キロの私が60歳になったとき、60キロになれる方法は?
始めはユニークなタイトルに惹かれて 「いつまでもデブと思うなよ」(岡田斗司夫 著)を読み始めました。
そして著者が食欲旺盛で運動嫌いという点に共感を覚え、 しかも失礼ながら著者は私より更なる暴食ぶりで巨漢だったようで、
「これならやってみる価値はありそうだな、失敗しても何も失いはしない。 失うどころか体重が増えるだけだ。」
さあこれで人生6回目のダイエットに取り組む目的もその方法も明確になりました。 後は実行です。
キーワードは「カロリーレージ」
この「いつまでもデブと思うなよ」に書かれている考え方や内容は、 私には大変参考になりました。 ですから私のコメントも随所にこの本に書かれていることが出てきます。
ただ、私はこの本で一番肝心なレコーディング(食べたものの全ての記録)を 真面目に実行しませんでした。
その代わりに35年も食の道にいますから、 その経験と知識を活用し、とにかく空腹を我慢しないですむ知恵を絞りました。 結果は
100日足らずで18キロ減です。
そしてキーワードは 「カロリーレージ」です。 あぁやっとこのキーワードに辿り着けました。
素人の解説で厄介なのは、話が下手なことではない。 もっと始末に終えないのは、話が長いことだ。と テレビである司会者が言ってました。
私もズブの素人なので、前置きがすっかり長くなってしまいました。申し訳ありません。 次回からは、いよいよ我慢したくない人の「カロリーレージ」を具体的に説明していきます。
このコーナーを書くにあたり・・・
いきなりですが、2011年9月7日に88キロあった私の体重が クリスマスには70キロを割り、 もうすぐ9ヶ月目に入ろうとする現在は69キロ前後が保てています。 つまり4ヶ月足らずで18キロ減り、その後の半年間リバウンドしていない状態です。
毎日顔をあわせる会社の仲間達も刻々と痩せていくことに気がつき、 始めはどこか悪いのではないかと心配し、 その次は「どうせまた2ヶ月もしないうちにリバウンドすると見ていましたが、 今回のダイエット方が今までと違い上手くいってそうだと分かると、 今度は会社のホームページやメルマガに紹介しようと言い出したのです。
個人のブログならともかく、会社のホームページに載せるのは問題だろうと思いましたが、 我社のホームページを企画編集している青年のS君が
「確かに食品会社が個人のダイエット情報を載せるのは変かもしれません。 でも松蔵のホームページは、単に自社製品を宣伝するだけではなく、 アクセスして頂いた方達に食を中心とした情報を提供し、 役に立ててもらうのが最大の目的ですから大丈夫ですよ。 美味しい食べ物の情報だけでなく、その美味しい食べ物を生涯食べ続けられるように、 体に優しい食生活のあり方をお知らせするのは、 むしろ食べ物を提供する会社として間違っていないんじゃないでしょうか。 第一、私だってどうやったのか詳しく知りたいし・・」
などと説得され、 このコーナーをもつことになりました。
素人の解説で恐縮ですが、これから何回かに分けて書かせていただくことにします。 文章は下手ですが中身はきっとお役に立つと思いますので、しばらくお付き合いください。 ただし私は35年前に調理師の資格を取ったときに栄養素の勉強を少しした以外、 特別に医学的な勉強をしたわけではありません。 従って知り合いのおじさんが、どうやって痩せたか自分の経験談を 少し自慢しながら話しているぐらいの気持ちで読んでください。 つまりこの話には医学的な裏づけはありませんし、 有限会社松蔵が何らかの保証をするものではありません。 単に私個人の体験談ですから予めご了承ください。
これまでの35年間、毎年1キロずつ増えてきたことになります
ではまずダイエット情報ではお決まりの、以前私はこうだった的な話をします。 私は現在58歳男性、会社では主に商品開発を担当しています。
23歳でコック見習いとして食の道に入ったときは52キロだった体重も、 美味しいものを求め続けてきた結果、 58歳になった時には88キロまで増えてしまっていました。 なんと35年間、毎年1キロずつ増え続けてきたことになります。 その間5回ぐらいダイエットに取り組み、 5キロから8キロ程度のダイエットに成功はするものの、 その都度リバウンドを繰り返し、結局58歳の立派なデブ親父が出来上がってしまいました。
私は不器用で音痴で字がめちゃくちゃ下手で、運動もいつの間にか苦手になり、 ついでに言うと極端な短足です。 ズボンを買って裾上げの採寸をするとき、 股下を計った店員さんは必ず計り違いではないかと2回確認しながら お直し伝票を書き込みます。(笑)
つまり私は、残念なことに人類としての風貌には あまり恵まれていないカテゴリーの人間です。 そしておまけにデブでした。
他の人に負けないのは、食べる量です。 食べようと思えばステーキは1キロぐらい楽に食べますし、 数年前になりますがとんこつラーメンの試食で12杯完食したことがあります。 テレビに出てくるフードファイターにはかないませんが、 一般の方からするとかなりの大食漢です。 家族からは歳を考えていい加減にしたら?と攻められる度に 「職業上仕方がないんだ」と言い訳しながら毎日、いや毎食が食べ放題でした。
試みたダイエットは・・・
今までに試みたダイエット法は、タマゴやグレープフルーツを大量に摂ったり、 炭水化物を摂らないものでしたが、それらはいずれもダイエット中、 多くの我慢を強いられました。 またキノコダイエット等はそれなりに効果が出ましたが、 大量のキノコを週に何回か長時間煮詰める手間が面倒でした。 結局いずれもリバウンドしてしまい半年後には元の体重を上回ってしまいました。
つまり私は決して強靭な意志や特別な忍耐力を持った親父ではなく、 痩せたいけどなかなか痩せられないと半ば諦めている多くの人達と同類、 いや大食漢なため、皆さんより痩せるにはハンディーがあったと思います。 まして新しい食品や味を作る為に試食を繰り返さなければならない仕事をしているのです。
そんな状況ですから、去年の夏ごろは 「自分はこの先ずっと、どこのお店に行っても着られる洋服が見つからない、 いわゆるデブの人生を過ごすんだろうな。まっいいか」と思っていました。 ところが健康診断の度に医師に警告されても無視してきた私に、 懲りずに6回目のダイエットに取り組む事になる2つのきっかけがありました。